東海道 間の宿 日永で、うちわが作られ始めたのは、今からおよそ三百年程前の江戸時代と言われております。 東海道は、毎日沢山の旅人が往来していたため、 土産物として盛んに売られるようになりました。 元々、 うちわは中国から渡ってきたもので、 貴族や豪族の人が装飾品としたり、 風塵や日光をよけるためのものでした。 そのようなうちわが 一般の人々にまで 使われるようになったのが江戸時代なのです。
日永は東海道と伊勢街道の分岐点であり、一日に往来する人の数は多い時で一万人いたとも言われています。茶屋や旅籠が軒を連ねており、日永うちわの他にも、永餅、日永足袋が有名で、 日永の三大名物と言われておりました。しかし、明治二十年代に関西線が開通したため、 歩いて東海道を旅する人が激減して、衰退の一途をたどっていったのです。 その上、扇風機やクーラーの出現も追い討ちをかけました。 全盛期には十数軒あったうちわ屋も戦後は三軒に減り、今では弊社一軒を残すのみとなってしまいました。
私も若い頃は先代のうちわ作りの苦労を見て、出来上がったうちわを仕入れて売った方が楽に儲かるのにと思っていました。しかし、先代が亡くなり、自分の代になってみると、うちわ作りをうちが止めてしまったら、日永うちわは途絶えてしまう。一度、絶えてしまったら、歴史はそこでストップしてしまう。 その事の重要性に気が付いたのです。全盛期には年間四十万本作っていた日永うちわを絶やすわけにはいきません。先代の姿を思い出し、奮起する事になりました。
先代は生前、「商売が続く限り、日永うちわの灯を絶やすな」とよく言っておりました。 「商売は牛のよだれのように細く長く」 とも言っておりました。 しかし、私はやるからには大きくしたいのです。守るだけでなく、攻めていきたいと思うのです。その現れが近年続けて発表した「消臭うちわ」「香るうちわ」「虫よけうちわ」です。香りのするうちわはずっと作りたいと思っていたのですが、つけた香りが長続きせず、ひと夏もたないのでなかなか商品化できずにいました。それがどうしても作りたいと思うようになり、 うちわを眺めて毎日考えていたところ、 ある時ふと思いついたのです。日永うちわの特徴である丸い柄の部分に何か仕込む事はできないだろうか? 何を仕込めばよいだろうか? 脱脂綿?スポンジ?そこからがまた大変でした。ネットで調べたり、アロマの会社を何軒も訪問したり、そして香り玉というものに出会ったのです。アロマオイルの香りも二十種類ほどの中から実際に試して、うちわにあう持ちのよい香りを選びました。そして、やっと納得できる 「香るうちわ」 が出来上がったのです。おかげさまで、 「香るうちわ」 「虫よけうちわ」はヒット商品となり、 日永うちわ復活の第一歩となりました。 開発に当たっては 三重県産業支援センター様や四日市商工会議所様に 大変お世話になり、それらの方々の協力がなければ今でも商品化できてなかったかもしれません。
日永うちわだけで商売をしていたら、 きっと、 守り続ける事を諦めていたことでしょう。 しかし、ギフト販売など、 他のことも商売に取り入れながらやってきたから続けて来れたのだと思います。 販路拡大、 職人の育成、 材料の確保など 今でも課題は沢山ありますが、 ひとつひとつ考えながら取り組んでいくつもりです。日永うちわは商品を買っていただくお客様、 会社で働く従業員、 品物を卸していただく仕入先、 その他、 弊社に関わるすべての皆様の支えがあって、 はじめて守っていけるのだと思います。 すべての事に感謝の気持ちを持ち、 これからも一本一本作り続けていきたいと思います。